ご案内は順調に続きます。
ここでトリビアをひとつ。『磨崖仏』と『石仏』の違いについてです。
両者とも、石を素材とした仏様であることは共通していますが、大きな違いがあります。それは、
壁に直接彫られていて移動ができないものが磨崖仏、持ち運びや移動ができるものが石仏
ということ。磨崖仏は、ほとんどが背中を素材となった崖にくっつけた状態になっております。先に見た宮迫の石仏も、背後の壁を活かして、光背が描かれており、実際は『石仏』ではなく『磨崖仏』なのです。が、国指定重要文化財に登録した際に『石仏』と登録されてしまい、今も『石仏』の名を使っているそうです。
このあたりの違いは、どっちでもいいひとにはどっちでもいいことかもしれないですが、大事な人にとっては大事なことですよね!そう……阿蘇人にとっての『溶岩』と『火砕流堆積物』の違いのように……(わりと細かい(笑))
浅川さんは、菅尾磨崖仏ジオサイトが、近くに住んでいることもあり、一番ご案内に力が入るそうです。これも阿蘇4層に彫られた磨崖仏ですね。(一番のチェックポイントがそこ)
熊野三山の仏様と並び方が同じことから、熊野信仰が当地に伝わっている証拠と言われています。こちらも、国の重要文化財でありながら、更に史跡としても指定されており、大切に保存されています――そうです――ですって…………
!!??
見たかったなぁ!
残念ながら、菅尾磨崖仏さんは、お化粧直しのために来年3月までお休みをいただいていました!
最初に見た宮迫の磨崖仏も、とてもお色が綺麗でしたが、きれいに修復され復元されたから、ということでした。
これはまたきれいになったタイミングでリベンジしなければ、と心を決め、ここでふと思い出す、浅川さんの最初の言葉。
「見るだけでぞっとするような、そんな仏様」――
とある川べり、神仏習合の煽りを受け、お寺であり神社でもある、その場所の、奥に、その仏様はいたのです。
うっぎゃああああ!
しかも横には、これ!思わず三度見しました!
大迫磨崖仏ジオサイトの、大日如来像です。
この大日如来様、彫られているのは、阿蘇4の下にある、知田火砕流堆積物層。約60万年前に、現在の由布岳の辺りにあった火山が噴火したときの堆積層。弱い固まり方だったために、加工もしやすかったのですが、たいへん脆くもありました。それで、きっと細かく彫られた頭の部分が真っ先に崩れ落ちたのでしょう。あの異様な顔は、後から張り付けられたものなんです。
よくよく見たら、本物の顔の大きさとのバランスも取れていません。
大迫磨崖仏のチャームポイントは、朝などの繊維を混ぜた粘土を塗って表面を仕上げている、石芯塑像という技法で作られていることです。柔らかな層に仏様を彫って、長持ちさせる為に苦心した様子がうかがえますね。
脇に置いてあった顔は、臼杵のある石像(のレプリカ?)のもので、今張り付けてある気味の悪い顔が落ちたら、付け変えてみるためだそうです……。
それ何て○ン○ン○ン!?愛と勇気だけが友達なんですか!?
今までの、磨崖仏の印象を一気に覆すダークホース、彫られる崖の性質によって仏様の姿が異なるということが、じゅうぶん実感できちゃった。いやはや、勉強になりました。
最後に訪れたのは、阿蘇3層に彫られた大きなおおきな磨崖仏、普光寺磨崖仏ジオサイトです。
高さ8mの不動明王が、制多迦童子と矜羯羅童子(読んでみよう!)を従えています。不動明王といえば、刀を掲げて怖い顔をしているのが印象的ですが、阿蘇3層という柔らかい素材の崖に彫られたこちらの不動様は、なんとなく顔つきが穏やかでほんわりとしています。
下から見上げると、制多迦童子と矜羯羅童子に比べて彫りが深く立体的な顔なので、作られた当時はきっともっとコワかったんでしょうね。
この磨崖仏の足元には井戸があり、信仰のあるところ清き水あり、の法則もバッチリでした。
不動様のいらっしゃる崖をよーく見ると、
阿蘇3の特徴であるスコリアがぼちんぼちんと自己主張。どこに行っても目立ちます(笑)。だいたいがこういうスコリアのあるところから傷んでくるんですよねぇ。わかるー。
この磨崖仏があるお寺ですが、名前の変遷がとても興味深いものでした。
もとの名は、普光山筑紫生寺といい、天台宗のお寺でした。しかし、これが岡城主3代目中川久清によって、「筑紫生(ちくしう)、畜生に通じて縁起よくないから名前変えようぜ!」ということになるのです。
結果、筑紫山普光寺となり、そのとき宗派も真言宗になってしまいました。
仏様の横の岩窟、右側にある護摩堂は、4代目中川久恒によって造られたものです。この壁面には毘沙門天が彫られています。
こちらの毘沙門天はまだまだ「メッ!」力が溢れていました。お顔も怖くて勇ましいですね。
たっぷりと磨崖仏について学んだ2時間。
大分の仏教信仰は、磨崖仏によって地域により深く根付いていったことは間違いありません。しかし、仏の姿をただそこに彫っただけでは、きっと信仰は深まることはなかったでしょう。豊かで美しい水があるからこそ人々は集い、仏の加護を感じながら憩ったのです。
火山の恵みが、人々の憩いと信仰を長い間支えてきたことがよくわかる、そんな旅となりました。
浅川さん、素敵なご案内をありがとうございました。おおいた豊後大野ジオパーク、たいぎゃよかとこじゃったです!また来ます!