鎌原村とポンペイ

先日、群馬県の嬬恋村へ行きました。こちらには、浅間山の土石流で埋まった鎌原村の観音堂が残っています。関東圏の火山ということでなにかと注目が集まる今、どのような災害があったのか見てきました。

天明三年、西暦1783年なので、今から232年前です。この年の五月から、浅間山は活発な活動を見せ、近隣の住民は不安を感じていました。その夏、八月五日、

浅間山からにわかに大量の溶岩が噴出。それが山麓に流れ落ち、土砂石を撒き込む土石なだれとなって、時速100キロ余りの猛スピードで鎌原村を襲いました。【引用:かんばら散策村めぐりマップより】

村に流入した堆積物の成分を解析してみると、当時の火山活動による噴出物は5%ほどで、あとは黒土、つまり、山の土などの腐葉土や、大昔の噴火の堆積物がほとんどだったそうです。

鎌原村はあっという間に土砂に埋め尽くされ、そのとき村の外に出ていた人と、村の高台にあった観音堂に逃げ込んだ人、計93名が、辛うじて一命をとりとめました。

観音堂の石段は当時50段あったそうですが、現在は12段だけが地上に残っています。(発掘で出てきたぶんの石段が、橋の下に少しだけ見えています)

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昭和54年の発掘調査(ガイドが生まれた年です)で、石段を登ろうとして果たせなかった二名の女性が発掘されました。復元された二人の面差しはなんとなく似ていて、親子であったのだろう、とも言われています。老いた母親を背負って必死で逃げてきたけど、間に合わなかったのでしょう。

鎌原村がなぜこんなにおおきな被害を出したかというと、当時の鎌原村は森に囲まれていて、浅間山がよく見えない状態だったそうです。噴火の様子、活動の様子、堆積物の様子が常時観察できていれば、避難や用心のタイミングも、もしかしたらわかったかもしれません。

生き残った93人は、新たな家族のきずなを結び、隣村の援助を受けて、村の復興に乗り出したそうです。この時指揮を執ったのは、地元の有力な農民3人。大災害の危機的状況を乗り越える知恵が、地位が上の者からではなく、地域を支え担った農民から出てきたことが興味深いところです。

他にも様々な視点から、鎌原村の事案は学ぶところがありますが、実は私はその前に、もうひとつ、火山で埋まった有名なところを見てきていました。

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イタリアはヴェスヴィオ火山のふもとの町、ポンペイです。

こちらも、三日三晩降り続いた火山灰によって、町がまるごと埋まってしまったところです。とても有名なところですが、近くにはヴェスヴィオの火砕流で埋まったエルコラーノという遺跡もあり、火山と人が暮らす場所の距離が近い日本にとっては、こちらの事例の方がきっと参考になるのでしょう。そのとき丁度体調を崩しており、足を延ばしていくことができませんでした。

ともあれポンペイです。こちらでは、街の発展とともに移り変わる芸術の形や、人々の生活の様子が生々しく残されていました。

ポンペイは、ヴェスヴィオの噴火の17年前に大地震に見舞われています。遺跡には、その復旧の途中だったとみられる祭殿や広場ものこっていました。きっと、街の復興に税金をたくさん使うことになったのでしょう。

これは私の勝手な仮説なのですが、復興に多額の税金が必要になったために、火山の観測に人員や予算がさけない状態になっていたのではないでしょうか。火山の噴火には必ず予兆があります。しかし予兆は、その火山を時間を掛けて観察していないと見出すことが難しいものでもあります。火山の噴火は天災ですが、被害を抑える努力を怠った結果があの遺跡なのだとしたら、ある意味で人災とも言えるのでは、と思うのです。

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ポンペイの灰の中には、逃げ遅れた人の姿がそのまま空洞で残されていました。発掘にあたった人が、そこに石膏を流し込み、熱風と灰に悶え苦しんだまま息絶えたひとびとの姿を、留めました。

私が行ったとき、コロッセオに展示スペースを設けて、そこで一望できるようにしてありましたが、服の襞まで残っているほどの生々しさは、近い未来の自分の姿でもあるように感じました。

恐ろしい災害を、語り継ぎ未来へ残したい。先の戦争の話でもそうです。

ただ、私は、語り継ぐだけでは、足りないと感じています。

鎌原村とポンペイ、ふたつの遺跡を見て思うこと。火山は生きていて、恵みももたらすけれども、付き合いは慎重にしなければならない。そして、火山の観測は、噴火の可能性があるかぎり常に、全ての山で行われるべきだ、ということです。ただ噴火しそうになったから、と慌てて観測するのでは遅いのです。

穏やかな時も、轟くときも、山を見つめ、耳を澄ませて、山と付き合う。火山の防災は、全てそこから始まると、私は思っています。

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嬬恋村郷土資料館には、このような旗が立てられていました。ガイドの方も、災害についてとても丁寧に解説してくださいました。これからジオパーク認定を目指しているところではありますが、日本のポンペイとして、火山災害の恐ろしさと、防災について、しっかり学べるいいジオパークになると思います。

浅間山ジオパーク、応援しています。がんばってください!

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