阿蘇の水の変化を追う ~突撃…自分のジオパーク~

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私が見た阿蘇の姿をお伝えしている、突撃…自分のジオパークシリーズですが、その中でも特に気になっていたのが、水についてです。

報道でも伝えられているように、温泉や水源が枯れるという現象が各地でみられました。水前寺公園などは、その後水量が戻りつつあるというところも報じられていますが、実際のところどうなっているのでしょうか。

自分が見て回った範囲ではありますが、現地の人に聞いたお話と合わせて、お伝えしたいと思います。

【阿蘇神社門前街】

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ここでは、各店舗のもつ水源を『水基』として整備しています。水基では、夏にはサイダーやトマトを冷やすのにも使いますし、学校帰りの子どもたちが水を飲む様子もみられます。また、コーヒーを淹れたりお菓子を作るのに、湧水を使っている店舗も多く、地域の人にも、訪れた方にも楽しめる門前街となっています。

この水基の中で、水が出なくなったのは、

IMAG9354文房具屋さんの『文豪の水』、そして、そのお向かいのお漬物やさんの『やすらぎの泉』です。

IMAG9359こちらは地震直後から全く水が出なくなり、今も戻る様子はありません。文房具屋の方にお話を聞いたところ、

「地下のことだからね、どうなってるかはわからないですけど、地面の中で水の通り道が変わっちゃったんでしょうね」

とおっしゃっていました。地域の方には、地面の中に水の通り道がある、という考え方が根付いているようです。

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実は、水基が整備されはじめた頃は、全ての水基が同じ形をしていました。その後、各湧水ごとに個性のあるあしらいに変化していきましたが、『風宮の泉』では今もその原型をとどめています。こちらを確認したところ、以前より水量が減っていました。

水の湧く量は以前と同じものの、地震によって水基そのものが被害を受けたのが、お菓子屋さん。

IMAG9424この写真は地震後です。地震の前は、石臼の上にもう一段、昔のシンクだったんでしょうか、水を受ける石のお盆がありました。計量カップでお水が飲める、可愛らしい水基でしたが、上の石盆が本震のときに落ちて割れてしまったそうです。しかし、未だにそれを片付けるところまでいっていない、とおっしゃっていました。

こちらのお菓子屋さん、たのやさんは現在元気に営業中。湧水を使った『たのシュー』というシュークリームが名物です。さっぱりとした甘味と香ばしい皮がベストマッチ❤

ラングドシャのバスケットにたのシューが詰められたシューバスケットも、超おすすめです。

おしゃれな雑貨や湧水で流しそうめんができるお店が集まった、旧女学校跡。こちらの湧水茶屋の方にもお話を伺ってきました。

IMAG9381こちらは、震度7の本震のあと、直後は水が赤っぽく濁り、最初は赤いレキ石が、続いて砂が出ました。こちらは今も水受けのあちこちに溜まっています。

写真の中で、黄色っぽく写っているのが赤いレキです。これは少し大きめの粒でした。

IMAG9384砂を手に取って見ると、キメが細かく黒かったです。火山灰よりも少し細かい印象。これが水に広がると、やや赤っぽく見えました。

2日後くらいまでには、これらの濁りも落ち着き、その後は目に見えて水量が増えたというお話でした。

オーナーの方がおっしゃるには、ここ5年や10年で水の量が変わるような短期的な変化ではないと、専門家ではないし地面の中のことはわからないけど、そう感じる、ということです。

今までの話を聞いたところで、水基を持つ方たちはみんな、理屈ではなく、感覚で、地面の中の水の流れや変化を感じ取っているという印象を受けました。

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現在は、水はとてもきれいで、流れる湧水の中でサイダーが冷えていました。

この通りにある電気屋さんに立ち寄って、更にお話を聞いたところ、近くのマンションの駐車場にある湧水、仲町湧水が、地震直後に枯れていたということでした。

IMAG9371確認に向かったところ、現在は以前と同じようにお水が湧き、流れていました。どのタイミングで枯れ、いつ水が戻ったかは確認できませんでしたが、いちど枯れたところでも、再び水が湧く、水量が戻る、ということもあるようです。

このお話を聞かせてくれた電気屋さんも、大きな2度の地震でたいへんな思いをされたそうです。自分たちの生活が落ち着く間もなく、電化製品を求めるお客様のために駆けまわっており、現在とてもお忙しいのだとか。きっと、いろんな人と会い、いろんな場面を見てきたのでしょう、

「こんな時でも欲深い方はいるけれど、門前街はみんなで力を合わせて頑張ってるよ」

という言葉が、出てきました。

想像もしていなかった状況の中で、冷静さを失い、自分を守ることに必死になる、そんな方もいらっしゃったと思います。しかし、阿蘇で商売をしているひとは、商売を通して、みんなで協力し合うことで、お互いを支え合っていました。泣いて暮らすよりも、声を掛けあい、動ける人から出来ることをする。そういうマインドが、地震をきっかけに目に見える形で発揮されている、私には、そういう風に見えました。

【遊水峡】

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遊水峡では、地震のあと、少し水は濁ったものの、わりとすぐにいつもの澄んだ水に戻ったそうで、水の量も以前と変わりはないそうです。奥の滝にある場所まで、現在も楽しむことができますので、お天気が良くなったら遊びにきてください、とおっしゃっていました。

ここで昔の話(そして我が家の話)になりますが、阿蘇市坊中に、踊山神社という小さなお社があります。この神社には、昔とてもきれいな水が湧き、地域の方を潤して余りあるほどだったそうです。しかし、大きな地震が起きた直後から水が枯れ、今ではどこに水が湧いていたかもわからない有様になってしまった、と。

この話をするとき、祖母も、地面の中で水脈が途切れたんだろう、という言い方をしていました。

水が枯れた話には続きがあって、乙女が笹の枝を手にして舞い踊るとき、再び水が戻る、という言い伝えが残っています。今回の旅では立ち寄れませんでしたが、地面の中が大きく動いた今回の地震で、踊山神社の湧水ふたたび、ということも、あるのかもなぁ、と、我が家ではそんな話もしていました。

結構昔から、阿蘇では地震のたびに水の出方が変わっていたんですね。こういうことも、たくさん聞き取りをして整理し、伝えていかなければと思いました。

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