手水が温泉です。アッツアツです。
ここは諏訪大社。先日知人の案内で、お諏訪さま四社参りに行って参りました。のっけから温泉での歓迎に、ワクワクが止まりません。この手水の温度はかなり高く、そのまま使うと火傷も辞さない温度でございます。隣に湧いている水でうめてから手水としてお使いくださいということだそうで、手順にのっとってお清めをしてから、熱い熱い湧きたての手水を楽しみました(指入れました!)……
同行の知人からは、「小学生かよ!」と言われながら。
以前、「古代阿蘇の君と水ストーリー」というお題でスキルアップ研修を行ったことは紹介していましたが、実はこのとき、児玉先生が、健磐龍命と諏訪の神様との関連を語ってくださっていたのです。
できれば、そのようなお話ができる方と出会いたい!あわよくば多少の研究などできればいいな!と、そんな野望を秘めての諏訪参りだったのですが。
お宮は合計で4つありまして、諏訪大社の下宮のほうからまわったんですが、その下宮も春宮と秋宮に分かれているという豪華ぶり。最初に参った秋宮から、春宮へ向かう道が、参勤交代で使われた中山道とほぼほぼ被っておりました。
その道すがら、湧いてる湧いてる温泉祭り。湧くからしょーがない、という無造作な湧きっぷり。お殿様やお付きの方の疲れを癒すのにもってこいだった温泉が、今は道行く人へひらかれています。
見かけるたびに指を浸け、ほかほかジンジンする感触を楽しんで参りました。
そういえば阿蘇にもこんなところがありましたね。阿蘇神社の門前街である仲町通りには、水基という水飲み場、水汲み場が各所に備わっていました。ああ、こういう雰囲気、懐かしい感じがする、と思ったのも、気のせいではありませんでした。
阿蘇建国の神である健磐龍命ですが、阿蘇の平定が済んだ後を息子の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)に任せ、諏訪へ赴きます。健磐龍命は、健五百建命(たけいおたつのみこと)と名を変え、系譜はここから健稲背命、そして健甍富命へと続きます。
その後何代かを経て、この系譜から生じた金刺氏が下宮の祷祭を担う立場を得ました。諏訪の信仰の源に、阿蘇の神様がいた、ということです。
また、諏訪がある長野県と阿蘇とは共通項が多いのです。
優良な馬の産地であること。(『牧』を擁していたということですね。)
水、温泉に恵まれた地であること。
山に囲まれていること。
そしてですね…私、これが一番大事なところだと思うんですが、
馬を食べる文化があること!
馬を牧に放ち、馬と共に山の恵みの中で暮らす。環境は似ていますが、馬を食べる文化までそう同じように発生しますかね?
もしかして、もしかしたらですけど、この馬を食べる文化は、健磐龍命が阿蘇から諏訪へ持ち込んだものではないのかという気がするんです。決して日本全国でみればメジャーではない馬食文化ですが、その代表といっていい長野県と熊本県、それぞれの一の宮に、ひとりの神様が関わっていた。これは事件です。ミステリーです。
真相は古代ロマンの中ですが、諏訪の馬肉も、たいへん美味しかったことを申し添えておきます。