23日、南阿蘇村の白水庁舎で、立野ダム緊急学習会が開かれました。地元の南阿蘇村の方だけでなく、熊本市内からも参加がありました。(かくいう私も、山越えをしての参加です。)
タイトルは「ダムより生活道路を」。現在、あちこちで道路が崩壊し、不便な生活を強いられています。
まず、地震直後の立野ダム予定地付近の現状などを緒方さんからお話いただきました。
立野の成り立ちについて見たあと、たくさんの現場写真で状況が紹介され、立野ダム計画の図面などを見ながら、計画のどこが危うく、どこに不安を覚えるのか検証が行われました。
地震直後は、阿蘇大橋付近の大規模な崩落に誰もが言葉を失いましたが、その後も余震や大雨の影響で崩落が進んでいる様子などを見て、また、立野の地質が崩れやすいものであること、そもそも水を含み通しやすい地質であることなどを聞き、現地の不安定さ、そこにダムを造るという計画の無謀さを改めて認識しました。
その後、創造的復興としての南阿蘇を考えるというテーマで、中島さんと栗山さんの両名がお話をしてくださいました。崩落した阿蘇大橋を残し、災害遺構として活用する案や、ケーブルカーなどで数鹿流ヶ滝が見られるような環境を作ることなど、一見突飛に感じられるかもしれませんが、この震災を、ただのマイナスととらえず、さらなる飛躍への踏み台として活用しようという現地の前向きなエネルギーを感じるお話でした。
最後には、地元住民の代表として本気で復興を考える会の吉田さんから、道路復旧の見通しや現地の現状についてお話をしていただきました。熊本市内への行き来が不便になっただけでなく、冬季の道路状況が今から心配されている現状で、お店をたたむ人もあり、熊本市内へ引っ越した人あり、さらに南阿蘇村内の会社を退職せざるをえなかった人もあり、と、道路状況が人々のライフプランまで根こそぎ変えてしまったということ。そしてそういう現状については、なかなか報道されず、困っていることが伝わりにくいことなどが語られました。
2012年の7.12九州北部水害のとき、「やはり立野ダムが必要だった」といわれ、一度は計画が凍結された立野ダム事業が再び動き出しましたが、水害のときに被害を受けた市内の方にお話を聞いたところ、
「しゃんもで(どうしても)立野ダムでなければ、ということではない。あのような水害が起こらない対策が、溜め池や河川改修で叶うのなら、別にそれでもかまわない」
ということだった、という話も聞くことができました。
私も、自分の考えを表明する機会をいただき、一言だけのつもりで結構たくさん話してしまいましたが、この立野ダム計画で利を得る肝心の熊本市内側の方の関心が薄いように思えること、ダムについて問題意識を持っている私たちがつながり力を合わせることで、熊本市内の方たちとも意思疎通を図る機会を作りやすくなるのではないかということ、これはカルデラの中だけの問題ではなく、流域全体の問題であることなどを、(しどろもどろでしたが)お伝えしてまいりました。
いつ起こるかもわからない大水害に備えて危険なダムを造るべきなのか。その予算で、今、ここで困っている方のために、道路や住宅を作ることはできないものか。地域の方の、
「今、ほしいのは道路なんです!安心して暮らせる環境なんです!」
という切実な思いを知った、今回の勉強会でした。